数字の読み方

 


1.第二次世界大戦の死亡者数

 第二次世界大戦を教えるときに必ずやるクイズがある。それは第二次大戦で一番戦死者が多かったのはどこかというものである。まず黒板に以下の5つの国または民族名を書く。

ソ連
中国
ドイツ
ユダヤ人
日本

 板書したあと、

「生徒同士で自由に相談してください」

と指示して相談タイムを入れる。この相談タイムを入れるのは私のオリジナルであるが、これがなかなか評判がいい。生徒は1時間じっと聴いてばかりいるのでは退屈する。だから、意識的に「ガス抜き」の時間を入れるのだ。

「相談しているふりをして、雑談をしてもいいですよ」

とも付け加える。あちこちからヒソヒソ話が始まり、やがてかなりうるさくなることもある。しかし、それでよい。次に集中力を高めるための準備なのだから。

 テーマによっては5分くらいたっぷり時間をとることもある。机間巡視をしながら生徒の意見を聞き出し、時にはほめ、時にはつっこみを入れたりする。第二次世界大戦での戦死者数の場合は、1分くらいの相談時間で十分だろう。それでも、生徒は自分以外の生徒の考えを知ることができ、自分を客観視する糸口になる。今の時代は、情報化時代といわれているが、生徒が本気で自分の考えを戦わすという機会はほとんどないのが実態である。

 頃合いを見計らって「ポン」と手をたたく。この合図があったら、すぐ相談をやめるように日頃から指導をしておく。そして自分の思った答えを自由にいわせる。

「日本!」
「ユダヤ人!」
「中国人!」

 だいたい生徒が答えるのはこのあたりの国である。適当に生徒に答えさせたあと、全員に尋ねる。

「第二次世界大戦で一番たくさん死者が出たのはどこか。上から順番に尋ねるから1回だけ手を挙げてください」

「ソ連」(全く手があがらない)

「中国」(数名の手があがる)

「ドイツ」(数名の手があがる)

「ユダヤ人」(どっと手があがる)

「日本」(どっと手があがる)

 ここまでじらしておいて正解をいう。正解は、
ソ連 2600万人、
中国 1000万人以上 
ドイツ 1000万人
ユダヤ人 600万人 
日本310万人 
である。

 もちろん、はっきりした数字は分からない。世界全体として5000万人〜6000万人が亡くなったと言われている。日本についていえば、軍人・軍属が230万人、一般市民(広島・長崎を含む)が80万人である。
 それにしても、毎年決まったようにユダヤ人と日本人に答えた集中するのがおもしろい。日本の教育や報道に問題があるのだろう。

 いうまでもなく、戦争は最大の人権侵害である。だからこそ、日本国憲法第3章「基本的人権」の前の第2章に「平和主義」を置いているのだ。「足を踏んだ人間、踏まれた人間」という言い方がある。足を踏んだ方は時には自分が足を踏んだことすら覚えていない。しかし、踏まれた方は容易には忘れられない。私だって、20年も前に電車の中で隣の女性のハイヒールで思いっきり足を踏まれたことを今だに覚えている。ましてや戦争体験は50年や60年で忘れられるものではない。日本は招待されて中国に軍隊を進めたのではないのだ。

 私は戦争の悲惨さをたくさんの写真や実物グッズで生徒に伝えるようにしている。そうした「仕込み」があって初めて9条や、これからの日本の将来を考えられるのではないかと思う。

 

 

 

2.失業率5%の意味

 経済データを扱うとき、一番重要なデータが失業率統計である。そこで
「日本の失業率は今何パーセントか?」と生徒に尋ねると、

 「2%」
 「5%」
 「10%」
 「25%」

 などとさまざまな答えが返ってくる。(答えやすくするのに、4択問題としてクイズ化しても良い)
 多くの生徒は5%前後であることを、普段何気なく耳にするニュースで知っているようである。しかし、中には2%とか、25%と答える生徒もいる。

2%というのは日本の高度成長の時のすごく景気が良かった時代の値で、

25%というのは世界恐慌の時のアメリカの失業率である。

と説明すると、初めて「ふーん」と納得する。

 ところで、5%という失業率は何万人くらいになるのだろう。日本の労働力は6600万人くらいだから、その5%は330万人である。しかし、330万人という数字はなかなかイメージしにくい。5%を20人に1人と考えると、1クラスで2人くらいの失業ということもできる。

 失業のつらさは経験した人でないと分からないかもしれない。しかし、決して人ごとではない。マンモスだって絶滅した。マンモス企業といえども安泰ではない。
 現在、日本で働く人の3分の1は非正規雇用である。25歳以下に限っていえば、二人に一人は非正規雇用である。なんたる社会になってしまったことか。われわれの周りには、非正規雇用の人がいっぱいいる。

数字を読むときには必ず自分の身に置き換えてみることが大切だ。

代替可能性、すなわち自分のこととして読みとる感性。それが数字を読むときの基本である。

 

 

 

 

3.報道されないデータ

 デュルケームの書いた本に『自殺論』というのがある。社会が豊かになればなるほど自殺者が増えることを説いた本である。日本では、年間自殺者数が3万人を超えた状態が、もう12年も続いている(2010年現在)。これは交通事故の死者数約6000人の5倍である。

 何かの本で、3万人というのは内戦で死んだ人の数より多いと読んで驚いたことがある。それにしても、この種のことはほとんどニュースにならない。これははどうしたことか。もし300人乗りのジャンボジェット機が1年間で100機も墜落したら、誰も飛行機には乗らなくなってしまうだろう。3万人というのはそのくらいすごい数字である。マスコミが取りあげ ないニュースにも注目すること。すなわち

報道されない数字にも注意を払うこと

それが大切だ。

 ところで、世の中には報道されないどころか、積極的に隠蔽されるデータも多い。そのことを教えてくださったのは、大学の教養部で統計学を担当された安藤次郎先生である。安藤先生は統計学者でありながら、数学をほとんど使わず、社会を記述する手段としての「数字の読み方」をわれわれ学生に教えてくださった。曰く

「統計とかけてビキニ姿の美女ととく」
「その心は?」
「見たいところが隠されている」

 現実社会では、本当に知りたい情報は隠されていることが多い。だから、今、手に入る情報だけで満足していてはいけないということをユーモアたっぷりに教えてくださったのだ。
 こうした「アクの強い」たとえ話は強烈で、40年たった今も安藤先生の名講義がふつふつと思い出される。私が毒にも薬にもならない授業よりは「毒」を含んだ授業を好むようになった源泉は、このあたりにあるのかも知れない。
 その安藤先生が卒業に当たってわれわれ学生に贈ってくれたはなむけの言葉も印象的だった。

 「叱られたら無条件に反省すること。この無条件というところが大切である。今まで君たちを叱らなかったのはわれわれ教員の怠慢である。社会人になったら、叱ってくれる人を大切にしなさい」。

 この言葉は、今も私の人生の指針となっている。

 

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